千國写真館
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きんときじんじゃ
金時神社
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金時神社
 金太郎大まさかり
 三菱金属兜x士小山アルミ機器工場より昭和五十六年四月寄贈
金時公園は昭和十年四月に開園しました。
 このとき公園のシンボルとして鉄製の大まさかりが近郷の小学生達の寄附等により建造されました。ところが太平洋戦争の資材とて供出されました。
 昭和五十五年から小山町金時まつりが盛大に挙行されたことと並行し大まさかり復元の希望が町民の中から湧きこのたびオールアルミ製の大まさかりが寄贈されまし。
  (説明板から)
金太郎伝
○天暦十年(九五八)五月 誕生
 中島(現・小山町中島)の彫物師十兵衛の娘、八重桐は京にのぼり大宮人坂田蔵人と結ばれ懐妊したので故郷に帰り金太郎を生んのだが、まもなく蔵人が亡くなったので京へ帰らず中烏で金太郎を育てた。
 大きくなってからは金太郎は母に考養をつくし、足柄山で熊と相撲をとったり、大鯉をつかまえたりして、智・仁・勇をそなえた立派な子供として成長していった。
○天延四年(九七六)三月二十一日源頼光と対面
 源頼光は上總守護の任期が終って、足柄峠にさしかかったとき、怪童金太郎と出会いカ量を見ぬいて主従の縁をむすぶと共に坂田公時と命名し、京にのぼって頼光四天王の一人となった。   源朝臣頼光四天王−渡辺舎人綱・坂田靱負公時・碓井荒三郎貞光・卜部六郎末武(前太平記)
○正歴元年(九九〇)三月二十六日 大江山酒呑童子退治
丹波国大江山(現在・京都府大江町)に酒呑童子が住み都に出てきては悪いことをしたので、勅命により頼光を大将に藤原保昌を案内として、四天王六人が山伏姿に身をかえて、神変奇特酒(眠り薬入り酒)をもって酒呑童子を退治した。(御伽草子)
○寛弘七年(一〇一一)十二月十五日 没
九州の賊を征伐のために筑紫(現在・北九州市)にむかう途中、作州路美作勝田荘(現在・岡山県勝央町)に於いて重い熱病にかかり五十五歳で亡くなった。勝田の人々は公時の武勇を慕い、倶利伽羅(剛勇の意)神社を建て、葬った。現在は、栗柄神社と称する。(作陽誌)
○昭和九年 金時神社 建立
子供の頃は、気はやさしくて力持ち、大きくなっての武勇をたたえて生地跡(坂田屋敷と呼ばれていた)に建てたもので、安産、子育ての神様として有名である。
 例祭 五月三日、四日    小山町観光協会  金時神社奉賛会  (説明板から)
ちょろり七滝
 この沢を流れる滝を「ちょろり七滝」といいます。
その昔金太郎の母八重桐は出産前の養生のため湯船温泉に通い、その帰りに野沢川のほとりで金太郎を産み落としました八重桐は住まいである金時屋敷まで帰りこの滝の水を産湯として使いました。 金太郎が丈夫に育ち立派な武将となったことからこの周辺の人々は子供が産まれると、この滝の水を産湯の水として使っていたといいます。
        (説明板から)
静岡県駿東郡小山町中島【しずおかけん すんとうぐん おやまちょう なかじま】
第六天社
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