あまはらし
かいがん
義経社
雨晴海岸と雨晴岩
二上山の山裾が富山湾に没するこのあたり一帯は、白砂青松と日本海では数少ない遠浅海岸の「雨晴海岸」です。
この岩は別の名を「義経雨はらしの岩」といい文治三年(一、一八七年)に源義経が北陸路を経て、奥州下りの際ここを通りかかった時、にわか雨にあい、この岩の下に家来ともども、雨宿りをしたという伝説があり、亦近在する女岩、男岩と共にこの海岸は秀景をなし、かつ越中国司として伏木に在住した青年歌人大伴家持もこの絶景を多く万葉集におさめています。
馬なめていざ打ち行かな渋渓の 清き磯みに寄する波見に 家持
高岡市観光物産課 (説明板から)