千國写真館
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武州荏原郡碑文谷村。寛永二十年鋳造。
妙光山法華寺とある。現在は、経王山円融寺。

東京都目黒区碑文谷1丁目【とうきょうとめぐろくひもんや1ちょうめ】

経王山円融寺
武蔵国
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むさしのくに
えんゆうじ

円融寺

円融寺
 寺伝によれぱ円融寺は、仁寿3年(853)慈覚大師によってこの地に開かれた天台宗法服寺がそのはじまりです。
 弘安6年(1283)日蓮上人の高弟日源上人により天台宗から日蓮宗に改宗しました。この時に寺号も妙光山法華寺と改めて、以後約400年の間にわたり栄えた名刹でした。しかし、いわゆる不受不施の教義を強く主張したため江戸幕府の弾圧を受けることとなり、元禄11年(1698)に元の天台宗にもどされました。そして天保5年(1834)に、山号寺号を経王山円融寺へ改め今日に至っています。
 正面に立つ優美な姿の「釈迦堂」(国指定重要文化財)は室町時代初期に建てられたもので、束京都23区内では最も古い木造建築です。
 境内には他に、寛永20年(1643)に鋳造された「梵鐘」(国重要美術品)、仁王門(区指定文化財)に安置されている木造金剛力士立像(都指定文化財)や、日源上人の事績が刻まれている「日源上人五重石塔」(区指定文化財)などがあり、また本堂には中世宗教史研究貴重な歴史資料である「円融寺板碑」(区指定文化財)があります。
  平成21年3月  目黒区教育委員会

   (説明板から)

 

円融寺仁王門
 区指定文化財(昭和53年3月22日指定)
 仁王門は三間一戸、八脚、入母屋造、茅葺(現在は銅板葺)で、用材は主に欅と檜を使い、和様に唐様をとり入れた建築様式で、細部の虹梁、かえる股、懸魚などにも彫刻的装飾が多く施されています。
 中央通路両脇に安置されている木造金剛力士像(都指定文化財)は、永禄2年(1559)鎌倉扇谷大蔵法眼の作といわれ、簡素な中に力強さを秘めており、「黒仁王さん」または「碑文谷の仁王さん」として親しまれ、江戸時代末期に多くの人々の信仰を集めました。
 仁王門は木造金剛力士像の製作とともに建築されたものと推定され、部分的には中世的特質も残していますが、しかし寛文期(1661−1673)から元禄期(1688−1704)にかけての様式的特徴が見られることから、現在の仁王門は近世になって大改修が行われたものと考えられます。
   平成21年3月  目黒区教育委員会

    (説明板から)