千國写真館
霞 城
(山形城)
村上
出羽国
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  最上義光公勇戦の像
 慶長五年(西暦1600年)の秋九月、怒涛の如く攻め寄せた上杉方の謀将直江山城守のひきいる二万三千余の大軍をむかえ、自ら陣頭に立って指揮奮戦し敵を撃退してよく山形を死守した山形城主最上義光が決戦場富神山にむかって進撃せんとする英姿であり、鎧兜は時代考証にとらわれず表現したものであります。
 右手にかざして持っているのは鉄の指揮棒で、清和天皇末業山形出羽守有髪僧義光と刻んであります。
 銅像をとりまく緑石は山形城三の丸をかたどったものであります。
     最上義光公顕彰会  (説明板から)

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でわのくに
かじょう

史跡・山形城跡 二の丸東大手門
 山形城は延文元年(一三五六年)斯波兼頼により創建されたと伝えられている。現在の山形城跡は、文禄年間(一五九二〜一五九五)最上義光により拡張され鳥居忠政の時代(一六二二〜一六二八)に、ほぼ現在の形に整えられた。
 昭和六十一年五月、二の丸堀から内側の地域が、近世初期の面影をとどめている全国有数規模の近世城郭として国の史跡に指定された。
 山形城の石垣は、市街地を流れる馬見ケ崎川の玉石(安山岩)を用い、割肌を表面に見せる野石積みで日本でも類を見ない優美で堅固な石垣である。
 二の丸東大手門は山形城の正門である。枡形の南北両側に多聞櫓をもつ独特な形式の枡形門で、江戸城の諸門に匹敵する規模をもつ。現在の建物は、幕末の城絵図や明治時代初期の写真等を参考にして日本古来の建築様式で復原され平成三年三月に竣工した。工期四十五ケ月工費十一億円余。(説明板から)

霞 城
(山形城)
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山形県山形市霞城町【やまがたけん やまがたし かじょうまち】