とおとうみ
かけがわじょう
掛川城天守閣
天正19年(1591)から慶長元年(1596)にかけ、山内一豊によって掛川城に初めて天守閣がつくられました。しかし、嘉永7年(1854)の大地震で倒壊し、幕末の混乱の中取り壊されました。 平成5年(1993)、城絵図や古記録を元に木造により復元され、140年ぶりに再建されました。 天守閣は、外観三層、内部四階から成ります。六間×五間(約12mx10m)の天守閣本体は、決して大きなものではありませんが、東西に張り出し部を設けたり、入口に付け櫓を設けたりして外観を大きく複雑に見せています。
霧吹き井戸
永禄12年(1569)徳川家康は、今川氏真の立てこもる掛川城を攻めました。この時、井戸から立ち込めた霧が城をつつみ、家康軍の攻撃から城を守ったという伝説があります。 (説明板から)
■掛川城の歴史
掛川城は、文明年間(1469〜1486)頃今川氏の家臣が、掛川古城を築いたことに始まります。永正10年(1513)頃に現在の位置に移り、今川氏の遠江支配の拠点となりました。 永禄12年(1569)徳川家康がここに立てこもった今川氏真を攻め、長期にわたる攻防の末、掛川城は開城しました。家康の支配下に入った掛川城は、甲斐武田氏の侵攻を防ぐ拠点になりまLた。 天正18年(1590)豊臣秀吉は、天下統一を成し遂げ、脅威であった徳川家康の領地を関東に移しました。さらに、家康の旧領地に秀吉配下の大名を配置し、掛川城には山内一豊が入りました、一豊は、大規模な城域の拡張を行い近世城郭として整備し、ニの時初めて天守閣をつくりました。 その後、掛川城は、松平家・太田家など徳川譜代の大名11家26代の居城として、明治維新まで続きました。 (説明板から)
静岡県掛川市掛川【しずおかけん かけがわし かけがわ】