「おもかげ地蔵尊」のいわれ
この地蔵尊は南部家の江戸屋敷にまつられ「おもかげ地蔵尊」と呼ばれていました。
7000人以上の犠牲者を出した安政の江戸大地震の時、盛岡藩江戸屋敷も全壊したにもかかわらず、地蔵さまのおかげで死者・けが人も少なく、特に子供たちを守り災難から逃れたと、それ以後も大切にされてきました
いつの頃かは不明ですが、盛岡市北山の南部家菩提所聖寿禅寺の境内に移され、本堂の入口に静かにまつられてきました。
旧家臣。盛岡市民の皆様には、この「おもかげ地蔵尊」に親しく清水をかけていただき、安産祈願・子供の健康成長・家内安全・厄除け・商売繁盛の願いを込めてご参拝いただければ幸いです。 (説明板から)
岩手県盛岡市内丸 【いわてけん もりおかし うちまる】
さくらやま
じんじゃ
「烏帽子岩(兜岩)のいわれ」
盛岡城築城時、この地を掘り下げたときに、大きさ二丈ばかり突出した大石が出てきました。
この場所が、城内の祖神さまの神域にあったため、宝大石とされ、以後吉兆のシンボルとして広く信仰され災害や疫病があった時など、この岩の前で、平安祈願の神事が行われ、南部藩盛岡の「お守り岩」として、今日まで崇拝されています。
桜山神社社務所 (説明板から)