千國写真館

むつのくに
もりおかじょう

盛岡城跡
陸奥国
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盛岡城の紅葉
(陸奥国/陸中)

南部家四十二代南部利祥は日露戦争に従軍、功績により市民が騎乗姿を鋳造。太平洋戦争時、軍需資材として供出。現在、台座のみ。

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盛岡城跡・岩手公園
 盛岡城は慶長2年(1597)に鋤初め(起工)をしたと伝えられ、翌3年に豊臣秀吉の許可を得て本格的築城が始められました。その後、寛永年間にかけて城郭の整備が進められ、盛岡藩主南部氏20万石の居城でした。 城は当時の北上川と中津川の合流点近くの丘陵に築かれ、本丸・二の丸・三の丸を中心に、腰曲輪(淡路丸)や榊山曲輪などの平坦部が配置されています。本丸や二の丸の一部では自然石を用いた築城当初の石垣、また、二の丸の西側では貞享3年(1686)に積まれた切石の高石垣など異なる年代のさまざまな石垣が見られます。 明治維新後、盛岡城は陸軍省の所管をへて、明治39年(1906) 、岩手県が城跡を中心に整備を加え、岩手公園として開園しました。昭和39年(194)に盛岡市に移管され、同12年(1937)国史跡に指定されました。 現在岩手公園は、城跡の風格ある石垣に調和した園地の修景が行われ、春には桜、秋には紅葉が美しく、四季を通して、広く市民に親しまれている総合公園です。  (以下省略)     (説明板から)

岩手県盛岡市内丸 【いわてけん もりおかし うちまる】