たかてる
じんじゃ
津軽信政公廟所
津軽藩主四代信政公は宝永七年十月に六十五才をもって没しました。遺命によって五代信寿公がこの地に廟を建立し送葬しております。 (説明板から)
高照神社
吉川神道を信奉した弘前藩四代藩主の津軽信政は、自ら葬地を高岡と定め、宝永七年(一七一〇)に弘前城で死去した。五代藩主信寿はその遺言に従って神葬。正徳元年(一七一一)に廟所を、翌年には本殿などを建立したほか、享保六年(一七二一)には門前に屋敷割りを行い、現在の高岡集落の元をつくった。 その後、七代藩主信寧が拝殿を、九代藩主寧親が隋神門や廟所門を整備した。社殿配置は東西に一直線で鳥居、隋神門、拝殿・幣殿が並び、廊下を挟んで中間から本殿に至り、更に西方二〇〇bに廟所と墓所がある独特の構成となっている。
このように吉川神道の教えに基づいた建造物群で現存するのは他に例がなく、更に江戸時代中期の神社建築の特徴をよく現していることから、平成一八年(二〇〇六)七月、本殿をはじめとする建物八棟と信政公墓二基が重要文化財に指定された。
平成一八年一〇月 弘前市教育委員会
管理者 津軽家・高照神社 (説明板から)
青森県弘前市大字高岡 【あおもりけん ひろさきし おおあざ たかおか】