千國写真館
白井宿
上野国

こうずけのくに
しろいのしゅく

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白井堰(シロイセキ)
 白井宿は、鎌倉時代中期に築かれた白井城の城下町として形成 され廃城後は宿場町、市場町としての形態を整えて沼田街道の終点、草津街道の起点という地の理から往来も多く繁栄が続いた。
 町並みの地割りは短冊形の町割りとなっており江戸時代初期の姿を残している。南北に貫く道路や中央を流れる白井堰沿いには 、桜・楓・柳等の並木が続き当時のつるべ井戸や路傍の石造物等がそのまま残されている。   **以下省略** (説明板から)

上野国・白井宿
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白井の力石
 地元では「だるま石」とか「あぶら石」とも言われ、力自慢を競う もので、昭和十二〜三年頃めで使われていた。
 この石を持ち上げられるのは、当時でも十人中二〜三人程度、力だけでなく技術も必要であった。つわものの中には白井の下宿から上宿までの約八百メートルを担いだ人もいたと言う。 石の重さは約二十三貫、実際の重さにして八十三・五キログラムを計る。   (石板から)

市指定史跡 白井町の道しるべ   指定 昭和六十年五月六日
  この道しるぺは、白井町の中央、白井堰の傍ら に建てられている。
高さ一七〇センチ、幅三八センチの石製で 台石に乗せられ、道しるべの上端には行灯?を据えたとみられる穴がある。  この道しるべを基点にみると、北は沼田街道西通りで沼田城 下へ、西にぱ「中の坂」を上り草津道に、南は日光・江戸道と通 じていく・途中には利根川を渡る「渡屋の渡し」がある。 往時の白井町は、三国街道から外れていたものの、かつては白井城の城下町であり、江戸時代には市場町へと変ぼう発展し、多 くの人々が集まり族人も通っていた。  道しるべは本村の江戸時代の交通史を知る上で責重なことからヽ村指定文化財として指定された。
  建立は嘉永二年(一八四九年)である。  平成十三年四月
      渋川市教育委員会 (説明板から)

春の白井宿は、八重桜の並木で綺麗な様子。また太秦から借りた武者行列も立派です。

群馬県渋川市白井 【ぐんまけん しぶかわし しろい】

公衆便所
道しるべ
北向地蔵尊石堂
公衆便所