榛名神社 由緒
当社は第三十一代用明天皇丙午元年(1,300余年前)の創祀で、延喜式内社である。徳川時代の末期に至る迄神仏習合の時代が続き、満行宮榛名寺なだと称えて上野寛永寺に属し、別当兼学頭が派遣されて一山を管理していたが、明治初年神仏分離の改革によって榛名神社として独立した。
御祭神 はむすびのかみ(鎮火開運) はにやまひめのかみ(五穀豊穣)
社殿は寛政四年の改築(一七〇余年前)御祭神は後に立っている御姿岩の洞窟中に祀られている神代舞(大々御神楽三十六座)は二五〇年前から伝えられたもので国の無形文化財に指定されている。(説明板から)
高崎市指定重要有形民俗賓料
榛名神社の萬年泉碑
水源神の榛名神社への雨乞講の伝統は古いが、萬年泉はその史跡、民俗資料の一つである。
雨乞祈願後柵中の御神水を竹筒にうけて帰村するのが例であった。
左上の元文四年(一七三九)六月「萬年泉」の碑は、宋の崔君謨の書裏面に長崎の平君舒の撰文銘がある
高崎市教育委員会 (説明板から)
群馬県指定重要文化財 鉄 燈 籠
この鉄燈籠は、新田義貞が寄進したと伝えられる県内最古の鉄燈籠で、灯身部に記された二百字余りの銘文の中に、元亨三年(一三二三) 紗彌願智という者が、大工(工人の頭)の芳十光長に作らせて奉納した
とある。また、同じ文中に車馬郡満行権現の名が見えるが、権現とは神と仏を一体とした、いわゆる神仏習合を示す表現で、榛名山神社と満行院がひとつに考えられ、社家と別当が共存していた時代の姿を伝えている。
武士の世の質実剛健の気風に材質として鉄が合っていたためか、当時の工芸品には鉄製か多く、たとえば鉄製の仏像などはほとんどか鎌倉時代頃のものである。 笠の部分は後世の補作だか、高さ二二八センチで銘文に書かれた七
尺五寸にほぼ一致する。六角形の基礎の各面にしつらえた唐獅子の浮き彫りを持つ格狭間の形状など、鎌倉時代の特徴をよく示しているといえる。
所在地 高崎市榛名山町八四九番地
指 定 昭和五十七年四月二十日
群馬県教育委員会
高崎市教育委員会 (説明板から)
群馬県群馬郡榛名町大字榛名山 【ぐんまけん ぐんまぐん はるなまち おおあざ はるなさん】
こうずけのくに
はるなじんじゃ