みののくに
ふわのせき
不破の関関庁跡と兜掛石
岐阜県不破郡関ヶ原町大字松尾 【ぎふけん ふわぐん せきがはらちょう おおあざ まつお】
不破の関
今からおよそ1300年程前ここに不破の関が置かれ、越前の愛発、伊勢の鈴鹿とともに日本の三関といわれました。この関所の規模は六町四方あったと推定されています。1300年後の平安時代初期に廃止されましたが江戸時代期末まで朝事ある時は関を閉まられておりました。
(説明板から)
不破の関関庁跡と兜掛石
この辺りに中心建物があったとされ、関内の中央を東西に東山道が通り、その北側に瓦屋根の塀で囲まれた約一町(一〇八米)四方の関庁が設けられ、内部には庁舎・官舎・雑舎等が建ち並び、周辺土塁内には兵舎・食料庫・兵庫・望楼等々が建っていました。
ここに祀られている石は、壬申の乱の時、大海人皇子(おおあまのおうじ)が兜を掛けた石と伝えられ、左斜めうしろには同皇子使用の沓脱石があります。
関ヶ原町 (説明板から)
町・県史跡
不破の関跡
東山道(とうさんどう)の美濃不破関は、東海道の伊勢鈴鹿関、北陸道の越前愛発関(あらちのせき)とともに、古代律令制下の三関の一つとして、壬申(じんしん)の乱(六七二年)後に設けられたとされています。
延暦八年(七八九)に停廃されて後は関守が置かれ、平安時代以降は、多くの文学作品や紀行文に関跡の情景がしきりと記されてきました。 関ヶ原町 (説明板から)