稻根神社(御蔵島)
バイキング号記念碑

バイキング号記念碑
今から百余年前、文久三年旧四月十八日米快速帆前船バイキング号(一三四九噸)は世界周航の途次、本島大根浜に於て座礁大破した。当時本船は中国人鉱夫四六〇名をのせて二三名の乗組員により香港発桑港に向うところであった、幸にして本島民の盡力により全員救助されたのみならず、当時僅か二五〇名の島民は彼等自身の衣食住をつめて厚遇した。其の後慶応二年に至り、曽て前甲板にあった「巻ろくろ」を台としてこの複合灯籠が作られた。この間約一世紀は過ぎ、今度射爆場問題を契機として本船の所属港ニューベットフォード市民並に遭難者子孫一同感謝親善の印としてこの碑を贈ることになった。  東海寺 (説明碑から)

千國写真館

いなねじんじゃ

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三宝神社
江戸時代、三宅島からの「独立」に尽力した3人が祀られている。神主・加藤蔵人、幕府大奥の医師・奥山交竹院(絵島生島事件で流人)その友人の医師・桂川甫竹である。祠の中には3人の銅像がある。背後には「巳の年 に已蔵の願い 巳なかない 巳よや 巳船の巳なもよろこぶ」と書かれている。毎年11月10日に三宝神社祭が行われる。
 平成6年度 御蔵島小中学校 郷土学習(説明板から)

東京都御蔵島 【とうきょうと みくらじま】

伊豆諸島東京都移管 百年記念碑
 伊豆諸島は幕末まで天領であった。新政府は明治2年旧藩改革、同4年廃藩置県を断行し、伊豆の島々は相模県、韮山県、足柄県、静岡県と目まぐるしく変わったが、明治11年1月11日太政官布告第1号(太政大臣三条実美)により東京府に編入された。以来100年の歳月を経て今日に至るまでの隆々たる発展の顕著なことは、全島民によるたゆまぬ努力の結果である。
ここに各島にこの碑を建て感銘をあらたにし、さらに将来への飛躍の礎とするものである。
  昭和53年1月11日  東京都 御蔵島村(説明版から)

地図リンク
稻根神社(拝殿)

複合灯籠

(御蔵島)
稲根神社