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羽衣伝説
近江 余呉湖の
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菊石姫と蛇の目玉石
仁明天皇の頃、この地に住む領主桐畑太夫に菊石姫という娘があった。姫はある年、干ばつに苦しむ村人を救わんと、余呉湖に身を投じ蛇身となって雨を降らせた。もう人間にもどれぬ姫は、長年世話になった。乳母へ、疫病の薬にと蛇の目玉を抜きとり、湖中から投げ与えた。目玉は石の上に落ち、その跡を残したので、以来この石を「蛇の目玉石」という。
また姫が枕にして、しばしば休んだといわれる「蛇の枕石」は、南側にある椎の老木下の湖中にある。干ばつの年、この枕石を地上にあげ雨を乞うと、不思議に雨が降ると伝えられる。
昭和五十六年十月吉日 余呉町観光協会 (説明版から)

蛇の目玉石

  天女の衣掛柳
往古 天の八乙女が白鳥となって此の所に舞い降り柳の木に羽衣をかけて水洛中、伊香刀美(イカトミ)と云う人が白犬を使って末女の羽衣をかくした。天女は羽衣が無くては天に帰れず仕方なく伊香刀美の妻となって二男二女を生んだ。  その子孫が伊香地方を開発した祖と伝えられる。
又別の説によると余呉の豪士、桐畠太夫の妻となリー男を生んだ。その後天女は羽衣の隠し場所を見つけて天に帰った。残された幼児は母恋しく泣き続けた。ここより一キロ程北に夜泣石がある。その泣き声が法華経の様に聞こえるので菅山寺の憎が引き収り養育した。菅原是清卿が菅山寺へ参詣された切その子を養子として引き取られ京都で成人された方が後の菅原道具公である。
又この柳は中国系のものである。学問の神として祀る菅原公はこの衣掛柳の古説と北野神社の旧跡は余呉町の旧跡として保存している。
(説明板から)

余呉湖の羽衣伝説

天女の衣掛柳

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滋賀県伊香郡余呉町大字川並 【しがけん いかぐん よごちょう おおあざ かわなみ】

石の裏は見てません

滋賀県伊香郡余呉町大字川並 【しがけん いかぐん よごちょう おおあざ かわなみ】