千國写真館
埋 木 舎

うもれぎの や

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 埋 木 舎
 井伊直弼が17歳から32歳までの青年時代を300俵の捨扶持で過ごしたとごろで、直弼は自らを生涯花咲くこともあるまいと埋もれた木にたとえて埋木舎と呼んだ。ここで彼は茶道、華道、禅、歌道、武術などの研究に励んだ。
(説明板から)

大老、彦根藩第十三代藩士、井伊直弼公は文化十二年(一八一五)に第十一代藩士、直中公の十四男として生まれた。五才のとき生母を十七才のとき父をうしない、藩の掟によって僅か三百俵の捨扶持を給せられてここに移った。 文化三年(一八四六)、第十二代藩士である兄直亮の嗣子になるまでの青年時代(十代〜三十二才)をこの埋木舎で過ごした。この間に刻苦勉励して学内武芸に打ち込んだが、将来の藩主たるためのものでなく、ただ与えられた窮庶子の地位において安住する精神を求めたに他ならなかった。
 嘉永三年(一八五〇)藩主に、更には安政五年(一八五八)四月に幕府の大老職になるや翌々の六月には幕府の祖法を排して日米通商条約調印に続いて、英、仏、露、蘭の四ヶ国と開港条約を結んで国難を救った英断は、この埋木舎における生活のたまものといえよう。
  昭和五十四年十月 彦根市      (説明板から)

埋木舎(井伊直弼)
埋木舎は右手奥
地図リンク
埋木舎(武士の一分ロケ地とか)

滋賀県彦根市尾末町 【しがけん  ひこねし  おすえちょう】