鐘の丸
表 門 橋
彦 根 城

ひこねじょう

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千國写真館
彦根城
西の丸
井伊直弼の銅像
山崎郭
黒 門

この櫓は長浜城の大手門を移築したもの??

天 秤 櫓

天秤櫓(重要文化財) 
この櫓は、豊臣秀吉が創築した長浜城大手門を移築したといわれているもので、ちょうど天秤のような形をしているところがら天秤櫓と呼ばれた。この形式は、わが国城郭のうち彦根城ただ一っといわれている。嘉永7年(1854年)に中央部から西方の石垣を足元から積み替えるほどの大修理があり、東半分の石垣がごぼう積みであるのに比べ西半分は落とし積みになっている。説明板から)

埋木舎(奥)
左和口多聞櫓
天守閣
時報鐘 (今も鳴らしている)

築城時にほかの場所から移築された建物

太鼓門櫓
大手橋
ライトアップ内濠(三脚無し、手ぶれ付き)
紅葉は?遅かった
西の丸三重櫓
             築城当時時報鐘をここに置いていたためこのような名称となつている。鐘の音が城下北隅に達しないので鐘を太鼓門櫓外(現在地)に移した。この鐘の丸には。大広間御 と御守殿のニつの鐘物があつたが、大広間御殿は亨保17年(1732年)江戸屋敷の広間として移され、御守殿は明治のはじめまでここにあつた。(説明板から)

滋賀県彦根市金亀町 【しがけん  ひこねし  こんきちょう】

天 秤 橋

天守は大津城の天守を移築した可能性があるとか。
彦根城は一度も戦をすることもなく、明治まで残った。

地図リンク

   西の丸三重櫓(重要文化財)
 天守閣から西の方にある広場を西の丸という。この西の丸のはずれの10メートルにもおよぶ石垣上にある三重櫓は、浅井長政の小谷城の天守を移築したものといわれ、万治年間(1658〜61年)に建てられたものである。(説明板から)