日本三古碑
那須国造碑
国 宝 昭和27年11月22日
総 高 148センチメートル
石 材 花崗岩
この碑は、今から約一、三〇〇年前(西暦七〇〇年)、那須国造であった那須直葦堤(あたいいで)の遺徳をたたえるため、その息子意斯麻呂(おしまろ)らによって建立された碑です。文字の刻まれた碑の上に笠状の石を載せた特異な形をしていることからこの地域では「笠石さま」とも呼ばれています。 碑には、八行に各十九字ずつの計百五十二字が刻まれており、その書体には中国の六朝時代の書風がじられます。また、碑文冒頭には「永昌」という唐の則天武后の時代に使用された年号が用いられているなど、その当時に朝鮮半島の新羅から渡米してきた人々の影響が色濃く残されています。 この碑の保存には、江戸時代の水戸藩主、徳川光圀も関わっています。 長い間倒れ埋もれていたこの碑を、旅の憎が発見し、馬頭村小口郷(現馬頭町)の里正、大金重貞に話したところ、やがてその地域を領地としていた徳川光圀のもとへこの碑の話が伝えられました。そして、この碑が貴重なものであることがわかったことから、.元禄四年(一六九1)碑堂を建立して、碑を安置しました。これが、現在の笠石神社となっています。 なお、多賀城碑(宮城県)・多胡碑(群馬県)とともに日本三古碑としていられています。 (説明板から)
石碑(看板の写真から)
御 堂
栃木県那須郡湯津上村大字湯津上 【とちぎけん なすぐん ゆづかみむら おおあざ ゆづかみ】
笠 石 神 社