豊川稲荷
   山  門
  天文五年(一五三六年)今川義元公が寄進した建物で当寺の現建物申最古の又唯一の丸瓦葺造りの屋根の形をしている。 寛政五年(一七九二年)に修理し更に昭和二十九年春、かなえ講の協賛によって大修理が行われた。 左右の阿吽の仁王像は昭和四十一年篤信者によって寄進されたものである。
豊楽殿
妙巌寺法堂
豊川稲荷本殿
千國写真館
(曹洞宗 豊川閣妙厳寺の鎮守)
 豊川いなり大本殿
 寒巌義尹禅師がご感得、ご自作の端巌妙相をそなえられる豊川吁枳尼眞大通称「豊川いなり」のご本体が祀られており、 全国幾千万のご信者の信仰の中心でありご祈祷の根本道場である。 御真言は「オンシラバッタニリウンソワカ」と申しご参詣の入々は、このご眞言を唱えて拝礼しご加護を受けられたい。 当寺二十九、三十、三十一世の三代にわたる入本殿新築の入願は明治、入正、昭和の三世代に跨って信者の信心を凝集して昭和五年春竣工し落慶大開帳が行われた。 建物は総欅造ヽ妻入二重屋根三方向拝の型をとり間口十間七分五厘(十九、三五メートル)高さ百二尺(三十、六メートル)奥行二十一間四分三厘(三十八、五九メートル)丸柱直径八寸(二十四センチ)のもの、直径三尺(九十センチ)のもの計七十二本が使われ内部は内陣般若殿、施主殿に区画され内陣は本尊「豊川吁枳尼眞天」が奉祀してありその厨子は、諏訪ノ和四郎の作で屋根の瓦に至るまで朱漆塗りで精巧に彫刻を配し稀に見る巧緻精麗な出来栄えは拝観者の讃嘆するところである。 更に両脇祭壇には伏見宮家より贈られた毘沙門天ヽ有栖川宮家から贈られた聖観世音菩薩、その他貴重な諸仏、諸菩薩の像及び諸仏具等が安置されている。 明治時代に至り有栖川家より「豊川閣」の大額が下賜され大本殿内に掲揚されている。 当寺を「豊川閣」と呼ふのは、この因縁によるものである。             (説明板から)
豊川稲荷  
(三大稲荷の一つ?)
【愛知県豊川市豊川町】
あいちけん とよかわし とよかわちょう
霊 狐 塚
鉄の燈籠
豊川稲荷本殿
小振りの三重の塔
登り龍
奥の院
豊川閣妙厳寺
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妙巌寺法堂
山 門
鐘 楼 堂
総 門