千國写真館
碑文石
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碑文石(ひもんせき)
 この碑文石は、碑文谷の地名の起こりとなったともいわれ、当碑文谷八幡宮では信仰の遺物として、また歴史資料として、大切に保存に努めてまいりました。 碑文を彫った石のある里(谷)という意味から碑文谷の地名が起こりました。 碑文石の近くの呑川の川床に露出いていた上総(三浦)層群の砂岩で、普通、沢丸石〔サワマルイシ〕とよばれる石を材料としています。の上方には、中央に大日如来(バン)、左に熱至菩薩〔セイシボサツ〕(サク)、右に観音菩薩(サ)の梵字が刻まれており、大日を主尊とした三尊種子の板碑〔イタビ〕一種とみられます。高さ七五センチヽ横(中央)四五センチ、厚さ一〇センチ、上部が隅丸、下部が下脹れのやや角張った形をししております。 碑大石は、昔、碑文谷八幡宮の西方を通っていた鎌倉街道沿いの土中に理埋まっていたものと伝えられ、大日と異系のニ種子を会わせて表わしているので、恐らく、室町時代のものとみられます。江戸時代の名著「新編武蔵風土記稿」や「江戸名所図会」などに碑文石のことが書かれています。  この碑文石には造立の趣旨や紀年は彫られていませんが、中世の人びとの信仰状況を知る上に貴重なものです。
    昭和五十八年四月   碑文谷八幡宮   (説明板から)
碑 文 石
碑文谷八幡宮
梵 字
七福神
三の鳥居
一の鳥居
秋祭り
碑文谷神社