報時鐘
外側から水門
千國写真館
三大水城
高松城(玉藻城)
香川県高松市玉藻町
高 松 城
水 門
 この高松城は、北は海、三方に濠(屈)をめぐらし海水を引き入れた日本三大水城の一つとして名高く、完全に海水を堀に取り入れた城は、この高松城だけである。
 築城当時は外堀、中堀、内堀を有し66万平方メートル(約20万坪)という広大な城域を誇り、堀には海水を満々と湛えて美しい姿を水面に映していましたが、明治初期に中堀の一部と外堀は埋められ、広さも9分の1まどになつた。
 この堀の海水は、城の北側を通っている国道30号の下をくぐって瀬戸内海とつながっているため、今日でも内堀、中堀の水位は潮の干満によって変わつている。 昔は、どのような水位調節をしていたか明らかでありませんが、海から稚魚(タイ・スズキ等)がこの潮に乗って水門の網から城に入り、成長した魚が堀で泳いでいるのが見えます。
                                             (説明板から)
史跡 高松城跡
 高松城は別名玉藻城ともいい天正15年(1587)豊臣秀吉から讃岐に封ぜられた生駒親正が翌16年(1588)こ工を起し,約3年の歳月をついやし天正18年(1590)こ完成したが、その縄張り、つまり設計は当時有名な築城家黒田孝高(如水)がしたとされている。 この高松城は全国にも珍しい水際城(一般には水城)の跡である。昔から「讃州さぬきの高松様の城が見えます波の上」と謡われていた。
 生駒家が4代54年と、寛永19年(1642)常陸国下館から松平頼重(水戸光圀の兄)が封ぜられて以来明治に至までの、松平家11代228年の居城として、讃岐の政治、経済、文化の中心地となつたところである。
 城跡は昭和29年1月16日松平公益会から高松市が譲り受け、翌30年5月5日『玉藻公園』として一般市民に開放した。 また、彦根城と姉妹城縁組をしています。これは、井伊大老の次女、千代姫が第11代高松城主松平頼聡の奥方として輿入れしたことから昭和41年8日15日結ぱれたものてす。
 城跡は天守閣跡や石垣、堀などが遺存し国の史跡指定となっている。
              (説明板から)
太鼓門
旭 橋
うしとら櫓
満潮時で堀に海水が入ってくる。
天守閣跡の神社
月見櫓(内側から)
鞘 橋
鞘 橋
水門(海水が入って来る)
水門(海水が入って来る)
水門の向こうは瀬戸内海
海水が次の堀に流れ込む穴
(日本三大水城のひとつ)
(玉藻城)
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内苑御庭
高松城
海の魚?
月見櫓(外側から)、水の手門