千國写真館
世良田東照宮
新田源氏のふる里  徳川氏発祥の地
東照大権現
新田義貞公の像・東毛歴史資料館
新田軍の鎌倉進撃路
世良田 東照宮
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せらた とうしょうぐう
360度パノラマ写真・名称付(境内中央から)
360度パノラマ写真(御黒門前から)
群馬県新田郡尾島町大字世良田
拝 殿
案内板
東照宮説明
徳川氏発祥の地
御黒門(縁結びの門)
上番所
真言院井戸
御用材(檜)
宝蔵庫
日本一の鉄燈籠
御供水井戸
人形代祈願所(ひとがたしろ きがん)
人形の紙に祈願・お祓いなどを書き、御神水に浮かべる。
罪・けがれを人形代に移し、心身を祓い清め、
幸運に導く人形代祈願。
御神水
御神水に浮かべた人形代の紙
神拝詞(となえことば)をとなえている内に、紙が突然沈んだ。
館内展示内容
太鼓門
三仏堂
蓮池
渡月橋
火消し棒
御黒門
世良田東昭宮は後から建てられたため長楽寺の敷地内にある。お寺が目印。
人形代祈願
東毛歴史資料館
長楽寺
勅使門から三仏堂
歴史公園案内図
  長泉寿の蓮池と波月稿

     所在地 尾島町大字世良田935番地
 この池は、長楽寺の住持義哲西堂の永禄八年(1565)の日記(永禄日記 県重要文化財)にもある池で、
承久三年(1221)長楽寺創建当時の遺構を残す一つである。別名心字池ともいい 心の字をかたどつてつくられ、
南の池の二つの島は心の字の二点を現しているといわれる、以前は北の池に白、南の池に紅の蓮があり、
成夏の頃には池一面に紅白1花が咲き、さわやかな芳香があたりに漂っていた。 
 中央にかかる弧状の稿を渡月橋といい、後烏羽上皇から下賜されたと伝えられる五面の
勅額の一面に「渡月橋」とあるのは、この橋のことと考えられる。
元は木橋であったが、寛政八年(1796)石橋に改められた。
北側の橋桁に、御修複篠木勝左衛門外一六名と、棟梁 市田吉左衛門、石工 天野源兵衛の氏名が彫刻されている。 
木橋当時の欄干の擬宝珠は現在の本堂(旧太師堂)匂欄の擬宝珠として保存されている。 
称は五十七年、歴史公園計画事業の一環どして、池の浚渫及び周辺の整備を行つたが、
本格的な学術調査は後日をまつことになった。 
なお、池の汀にある岩石は昭和四十四年護岸のために据たもので、元は素堀の池であった。 

  (竜宮伝説)
 北の池は、底が竜宮に通じていて、何か必要なものがあれば、その品名を書いた紙を地に投げこむと、
水面が渦巻いてその紙を吸いこみ、やがて忽然としてその品物が浮上するとわれていた。
ある時、寺に大行事があって千畳張りの蚊張を借りた。それは蓮の糸で織られた精巧な蚊張だった。
寺僧がこれを惜しんで返さなかったため、以来、
いくら紙を投げ込んでも、池の水面には何の異変も起こらなくなったという。
                 尾島町教育委員会
     (説明板から)