松山城『築城物語』
松山城は、慶長七(1602)年正月十五日賤ヶ岳七本槍で有名な加藤嘉明によって起工されました。
石材などは、正木(松前)城や湯築城などから運ばれたものも多かったようです。
嘉明は、足立重信を普請奉行として工事に着手、おたたさん(魚の行商をする女性)が砂を運び、
近郷の農民が手ぐリ渡しで瓦を運ぶなど、多くの人々が工事に従事しました。
翌慶長八年十月に、嘉明は正木(松前)から新城下に移り、城下を松山と命名し、城の名前を松山城としました。
城全体の完成は、加藤嘉明が会津四十万石に移封となった寛永四(1627)年頃といわれています。
約二十六年の歳月をかけて築城されたことになります。
別称『金亀城』(きんきじょう)名前の由来お城は、標高百三十二メートルの山(勝山)の上にあり、
勝山城または金亀城とも呼ばれています.松山城築城の際、山麓の内堀(愛媛県庁西側)の処が、
深い淵になっていて、そこに『金色の亀』が棲んでいたといわれています。
その伝承にちなんで、別名『立亀城』呼ばれています。
(説明板から)