紫雲出山遺跡

紫雲出山(三五二)の山頂に形成された。弥生時代中期の高地性遺跡、昭和二二年地元の郷土史家前田雄三氏が発見し、昭和三一年から翌三二年にかけて、当時の京都大学講師小林行雄先生によって発掘調査された。
土器の包含層は山頂一帯に広がり、住居址と思われる列石遺構のほかに貝塚も発見されている。出土品は、弥生時代の中期から中期末の多数の土器のほかに、打製石鏃、石槍、榎状石斧、打製石庖丁、磨製石斧、分銅形土製品、貝輪、鉄器片、シコクビエなどがみられる。
なかでも長くて重量性のある石鏃が多数出土していることは、とくに注目されヽ荘内半島の最高所に立地するという地形上の特性からも、軍事的、防禦的性格を帯びた特殊な遺跡として学界でも注目されている。
     詫間町教育委員会  (説明板から)

地名「生里(なまり)」太郎が生まれた所。
紫雲出山(しうでやま):
太郎が玉手箱を開けると、煙が立ち上り紫の雲となってこの山に被さったので、「しうでやま」という。
山頂には原始人が居た。
淡島の「姫路」乙姫さんが潮の流れが変わるのを待った所
千國写真館
浦島太郎伝説 inさぬき詫間(たくま)町
浦島伝説
積の金輪の鼻
竜宮城で遊んだ太郎が乙姫様に送られて宝物を積んできた所が積といわれ、海岸で別れを惜しんでいた時、乙姫様の腕輪(金の輪)が落ちた所で「金輪の鼻」とよばれています。

粟島の姫路・亀戒社(かめえびすしゃ)
乙姫様が太郎を浦島の里へ送り届けたあと潮流の関係で一時、粟島の姫路に身をよせていたので、そこを姫路とよび、亀戒社は太郎をのせた亀の霊が祭られた社です。
        (説明板から)
竜宮城へ
浦島神社
香川県三豊郡詫間町大字大浜
岸壁に亀の像が有る
干潮時の今は歩いて行く事が出来る。
(しかしながら海岸へ行く集落の入口にバリケードが在り、関係者以外は進入禁止にしている)
鴨ノ越の丸山島:この海岸で亀を助け、海に返してやった。
年取った浦島太郎が亀に乗って橋の欄干に
詫間駅前にあるいじめっ子と助けた亀
青年の太郎と助けられた亀
5人の悪ガキ
荘内半島のバス停名
町営バス「りゅうぐう2」どこまで乗っても100円
左の欄干は浦島太郎、右の欄干は竜宮城
町中の街路灯が竜宮城です。
少年の浦島太郎が亀に乗っている(たくまメモリアルパーク)
地名「積」乙姫様に送られて宝物を積んで来た所
地名「箱浦」浦島太郎が亀と竜宮城へ行ったとこ、
貰った玉手箱を開けた所。
太郎親子の墓(浦島公園内)
ボタンを押すと説明がスピーカから流れる?
(壊れている)
紫雲出山(しうでやま)登山口にある公衆トイレも竜宮城
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荘内半島=浦島
荘内七浦と呼ばれていた、粟島・香田浦・志々島・箱浦・生里浦・積浦・大浜浦を総称して「浦島」といった。