みかわのくに
おかざきじょう
愛知県岡崎市康生町【あいちけん おかざきし こうせいちょう】
徳川家康公銅像
天文11年12月26日(西暦1542年)岡崎公園内二の丸(現在の能楽堂)で生まれた。幼少の頃人質として苦難の道をあるき、自立した後は全国統一をめざし、転戦を続け、慶長5年(1600年)天下分け目の関ヶ原の合戦に大勝して、天下をおさめるにいたった。以後持前の才能を生かし、全国統一の念願をかなえるとともに、徳川幕政300年の基盤をも作り、元和2年4月17日(西暦1616年)75才でこの世を去った。
この銅像は昭和40年家康公350年祭を記念して建てたものである。 (説明板から)
えな塚
この城で生まれた徳川家康のえな(胞衣)を埋めた塚で、もと本丸南にあったものを、ここに移して記念とした。 (説明板から)
産湯の井戸
天文11年12月26日(1542年)徳川家康公が岡崎城内で誕生した。この井戸の水を汲み、産湯に使用した。 (説明板から)
本多忠勝像
岡崎城
15世紀中頃(室町時代)、西郷弾正左衛門頼嗣(稠頼)が現在の岡崎城の位置にはじめて城を築き、のちに家康の祖父である松平清康が入城し本格的な岡崎城を構えた。
1542年(天文11年)12月26日、徳川家康はここ岡崎城内で誕生した。江戸時代、岡崎城は「神君出生の城」として神聖視され、本多氏(康重系統/前本多)、水野氏、松平氏(松井)、本多氏(忠勝系統/後本多)と、歴代譜代大名が城主となった。石高は5万石と少なかったが、大名は岡崎城主となることを誇りとしたと伝えられる。
現在の天守閣は1959年(昭和34年)に復元され、3層5階の鉄筋コンクリート構造となっている。2階から4階は江戸時代の岡崎を紹介する展示室で、5嗜は展望室となっており三河平野を一望することができる。
(説明板から)