瀧尾山正眼院太平寺
延暦22年(803)坂上田村麻呂が、蝦夷討伐の折り逆賊調伏の祈願のため、千手観音菩薩を安置し大願成就を祈って堂宇を建立したと言われております。太平寺は、烏山城主代々の御領地南滝村に祭祠されていた、天台宗の寺院で、将軍吉宗公に信任厚かった大久保佐渡守常春公が拝領の折寺社係りに命じ観音堂を大改築したと言われ、千手観音立像、天蓋(県指定)、二十八部衆木像、風神雷神像、仁王像、額絵馬(間引絵馬)榧(天然記念物)等は文化財の指定を受けています。
境内には「特殊墓域」があり二代城主大久保忠胤の三女於十、四女於志賀(通称蛇姫様)五女於霜の墓があります。 (説明板から)
龍門の滝
龍門の滝は那珂川に注く江川にかかる高さ20メートル幅65メートルの大滝でヽ中段に男釜・女釜と呼はれる浸食穴があります。この穴は大釜・小釜とも呼ばれており、女釜は直径2メートル、男釜は4メートル以上もある大きな穴で、その深い深い穴いっぱいに青黒い水をたたえています。
この滝に伝わる伝説によると、男釜には物すごい主が住んでいるといわれていました。近くにある大平寺の53代の和尚は、滝の上の大岩に、ささ竹を四方に立ててしめなわを張りめぐらし、祭壇を作ってその前にすわり、「もしも男釜に主がいるならぱ、その姿をあらわじたまえ」と、手にした数珠をおしもみ、三七、二十一日間一心不乱にお祈りをつづけました。 二十一日目の満願の日のタ方のごとです。今まで晴れていた空がにわかにまっ黒な雲におおわれ、あたり一面うす暗く物すごいいなずまと共に大雷雨になり、目もあけていられないほどの雨風がドッと吹きつけてきました。すると滝つぽの波がグワッと巻立ったかと思うと男釜の中から大蛇があらわれいでて、大きな□から火炎をふき火の玉のように目をかがやかせなから、ぐんぐんと太平寺めざしてのし上り、仁王門の屋根にぐるりぐるりと巻きついて7巻半して棟の上に大きな鎌首をのせました。その尾はまた男釜から出切れず釜の中に残っていたということです。 それでこの滝を龍門の滝とよぶようになったといわれています。
烏山町 (説明板から)
太平寺
栃木県那須烏山市滝 【とちぎけん なすからすやまし たき】