さんぶいち
ゆうすい
大荒れの碑
この石は昭和十八年九月五日山津波のために押上げられたものである附近一帯の土石流の跡も亦そのときのもので家は流され人も死んだ三分一も埋められて田畑も押流され惨憺たるものであった旧六ケ村の人々は水元坂本家と力を協せて三分一を掘りだし元の通りにした茲に記してその功績を稱え併せて山津波が周期的に起ることを後世に傳える
昭和二十四年三月 (碑文)
三分一湧水(さんぶいちゆうすい)
名前の由来は、その昔、湧水の利用をめくり長年続いた水争いを治めるため、三方の村々に三分のーづつ平等に分配できるように工夫したことからきています。
湧水は、利水権を持つ地区住民で組織する管理組合や地元住民によって管理され、農業用水として重要な役割を果たしています。
湧水量は、1日8、500トン、水温は年間を通して摂氏10度前後を保っています。 (説明板から)
三方向に分ける為の分水場。池のの中にある三角柱の石を水分石(みずわけいし)と言い、平等に水量を三等分するのに必要な要となる石で、丸や四角では駄目だそうです。この水は農業用水として使用します。飲料には適さないようです。
三分一湧水と水元坂本家
三分一湧水は古くから下流集落の生命の源泉であり、住民これにより 田畑を耕し、くらしを立ててきました。 三方向に等量に分水する独特の手法は、争いを避けるための先達の知
恵であり、学術的にも高く評価されています。 そのような歴史の中で、二十六代を数える旧小荒間村の坂本家は、累代「水元」と敬称され、湧水の維持はもとより、村落間の和平を維持するために心を砕かれてきました。 今も毎年六月一日に、同家を首主座に関係集落立ち合いのもと分水行
事が行われるのはその故です。 平成十四年七月甲府市にお住まいの坂本家当主静子様には待ちの懇望 に応え、三分一湧水周辺一帯の所有地をお譲り下さることになりました
。 ここに本湧水と水元坂本家の由来の一端を記し深く感謝の意を表しま す。
平成十五年 三月三十一日 長坂町 (石碑から)
名水百選「八ヶ岳南麓高原湧水群(三分一湧水・女取湧水・大滝湧水)」の一つ。
山梨県北杜市長坂町小荒間 【やまなしけん ほくとし ながさかちょう こあらま】