千國写真館

岐阜県大垣市墨俣町墨俣 【ぎふけん おおがきし すのまたちょう すのまた】

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すのまた
いちやじょう

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墨俣一夜城
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一夜城築城のこと

墨 俣 城

戦国の頃、尾張の織田信長は美濃進出の足場とするため州股に砦を築こうと企て、佐久間信盛、柴田勝家などに築城を命じたが相次ぎ失敗したので大いに怒った、時に木下藤吉郎秀吉進んでこれに当たる。永禄九年蜂須賀小六等の野武士二三千人を率いて大小の長屋十棟、櫓十棟、塀二千間、木柵五万本、人夫一千人を使い夜を日に次いで普請を急がせた、七日程にて大かた城もでき一夜の内に塀櫓を押し立て、塗り立て完成したように見せかけたので、攻撃中の井ノ口の斎藤龍興の城平八千余騎は驚いて敗走した。信長はその功を賞し秀吉を城主とした。俗に一夜城という。秀吉出世の由緒ある城である。(説明版から)

墨俣一夜城