にじょうかんぱく
そせいのいずみ
岐阜県揖斐郡揖斐川町西津汲 【ぎふけん いびぐん いびがわちょう にしつくみ】
寄り添うように二つ並んでいることから、「夫婦滝」と呼ばれている。
古傳 ニ條関白蘇生泉
ここ瑞岩寺は、かつて千三百年の昔 天平の頃、行基菩薩をこの地に安置された頃からはじまり、その後、時を経てこの地を土岐氏が守護大名として治めるようになりました。 当時京の都は乱れ、戦が絶えず、文和二年(一三五三年)六月
戦っていた南朝北朝の均衡が破れ、北朝帝が兵乱をさけられることになり、北朝方を守っておりました美濃国守護大名土岐頼康は、北朝帝の後光厳院を奉じて京都から垂井を通り、やがて小島の里の頓宮にお入リになりました。
この時土岐頼康以下三千余騎が北朝帝をお守りし、公卿等も供奉する者数多く之に従い里人を驚かせました。 その頃、関白前左大臣二條良基公は病のためこの列に加わることができず、その後七月二十七日病も癒えた体で院の後を慕いて旅立たれました。 良基公は、その折の日記「小島のすさみ」にて「・・かくて二、三日の道を五、六日程やみやみかろうじてをじまにまいりつきぬ・・」と、記されていますが、病後の体には文月の酷暑と余リにも遠い道のりでとても苦しい旅でした。いくつかの山を越え、川を渡リ、垂井を過ぎ梅ケ谷を過ぎる頃には、興(乗物)の中で心もうつろで、目の前に小島の里を望む頃病上リの体は疲れきり、夢うつつでした。 するとうら若き娘か現われて「・・之は、熱病を治すぺ冷水にて召し上り下されぱ・」とそれを差し出しました。良基公は、その水を口にされる頃夢からさめて不思議と心が晴れやかになりました。 良基公は早速興を止め、「この辺リに冷水はないか」と供の者に尋ねられました。程なく供の者が岩間から汲みとった清水を差し上げますと□にされ、吐息されると『この清水で生き返った』と心からお喜びになりました。やがて元気になられた良基公は直ちにヽ頓宮に向かわれました。 その後村人達は、この事を伝えきき、湧き出る清水を、「二條関白蘇生泉」と名付け、名泉の名を高めています。(説明板から)
めおとだき
岐阜県揖斐郡揖斐川町瑞岩寺【ぎふけん いびぐん いびがわちょう ずいがんじ】