岐阜県揖斐郡揖斐川町坂内川上【ぎふけん いびぐん いびがわちょう さかうち かわかみ】
やしゃりゅう
じんじゃ
伝説 夜叉ケ池
千二百年もの大昔、美濃の国、安八郡の郡司安八太夫は、ある年、大変な日照りに途方にくれていました。
ある日、田んぼで小さな蛇に向かつて「雨を降らせてくれたら、どんな願いもかなえよう」と独り言を言いました。すると、その夜、待ちに待った雨が降り出して田も畑も蘇りました。 しかし、その喜びも束の間、翌日蛇は凛々しい山伏姿になって現れ、太夫の末娘夜叉を嫁にと連れて、この地区の坂内川を遡って、越前と美濃の国境にある美越ケ池(みこしがいけ(夜叉ケ池))に入りました。娘の不憫さに、安八太夫は度々夜叉ケ池を訪れ、紅、白粉、櫛、かんざしを池に浮かべて娘の心を慰めるのでした。この地区の坂本から川上(村)までの川筋に幾つもの伝説が残っています。一度たどってみてはいかがでしょうか。
揖斐川町教育委員会 (説明板から)
夜叉龍神社 揖斐川町坂内川上 字地蔵平
夜叉ケ池に最も近い人里であるここ川上の地に、池の守護 高麗神を奉斎する社である。
正保四年(一六四七年)に大垣藩主戸田氏鉄公により創建され、その後大垣藩領治水の鎮守として歴代藩主の崇敬篤く、時々の修復建て換えも藩の奉献に依っている。明治二十八年(一八九六年)ナンノの大崩壊の祈神霊を長昌寺に祀り 後ハ幡社境内に遷して高麗神社と称する。
昭和九年(一九三四年)揖斐川電工株式会社(現イビデン株式会社)が川上発電所を開設するに際し、この地蔵平の故地に本神社を復興した水の恩恵に謝し村と会社の平安隆盛を祈願する意に発する夜叉姫伝説ゆかりの宮であるこの近辺にはいくつかの話題の地点がある。(説明板から)
夜叉龍神社
安八太夫の娘夜叉が龍神に嫁いで池入りした見越ケ池はその後、誰ということなく夜叉ケ池と呼ぶようになりました。江戸期に入って、雨乞いの霊験あらたかなことから いで池入り大垣藩の殿様が、この地の奥に夜叉龍神社を建立されましたが、明治二十八年のナンノ谷大崩壊によって流され、昭和期にこの地に再建されました。
哀れ悲しい夜叉ケ池伝説は美しい池とともに、広く人々の心に継がれていくことでしょう。(説明板から)