斎王の森        ↓

斎宮歴史博物館

さいおう と
 さいくう

案 内 板
ここ三重県多気郡明和町大字斎宮字楽殿の地一帯は、皇大御神に近侍して神宮祭祀に奉仕せられた斎王御所の奈良時代以来の遺蹟である。斎王制度は遠く崇神天皇の御代に起源して天武天皇以後その制度を確立し歴代皇女または女王を斎王にたてられる例であった。吉野時代後醍醐天皇以後戦乱のため中絶し再興を見なかったこの由緒深い遺蹟の顕彰保存のため、明治維新百年を機とし北白川房子神宮祭主の御染筆を碑文に刻して永く後生に傅えるものである。
昭和四十三年十一月三日 神宮司庁 (案内板から)

三重県多気郡明和町大字斎宮 【みえけん たきぐん めいわちょう おおあざさいくう】

斎王群行と帰京の道

斎王の伊勢への旅には、天皇の使者や、斎宮で仕える男女の官人以下 、あわせて数百人の人々が従い、途中には宿泊用の仮の宮(頓宮)が造られた。この行列を平安時代には『群行』(ぐんこう)と言い、近江国から鈴鹿の山々を越えて伊勢国に入る五泊六日の旅。帰京には、同じ道を通る時と、天皇が亡くなったり、斎王の近親者の不幸があったりした時には伊賀を通る。

頓宮は近江国の勢多・甲賀・垂水、伊勢の鈴鹿・一志の五箇所。

伊賀を通る道は一志・川口、伊賀の阿保、大和の都介、山城の相楽を経て木津川で難波に下り、禊(みそぎ)を行った後、山城の河陽に戻り、京に入る。
  (説明品から)

伊勢の神宮(内宮)はコチラです。

伊勢の神宮(外宮)はコチラです。

香良洲神社はコチラです。

斎 王
斎王とは、天皇に代わりに天照大神の御杖代となる皇族の女性で、古くは崇神天皇の時代から始まり、その後飛鳥時代に天武天皇の皇女、大来皇女が斎王になってから恒常化して、後醍醐天皇の時代まで約650年間に渡って続いた。実際に伊勢の斎宮で生活を送ったのは50人ほど。天皇の代替わりごとに朴定(占い)で皇女の中から選ばれた。.

斎 宮 跡

千國写真館

斎宮跡の規模は東西約2km、南北約0.7Km。

斎宮 1/10建物模型

いつきのみや歴史体験館

斎宮跡1/10建物模型

斎王の森

斎宮跡は、斎王の御殿とその事務を取り扱った役所跡である。

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