おおがきじょう
大垣城大手門跡
大垣城由末
大垣城は古く応仁年間には末大寺城と呼び当時の城主は大井荘のうち石包名という地城の代官職をしていた大垣氏てあったようてす。そこでこの城を大垣城というようになりました。その後天文四牟宮川安定が城郭を築き永禄二牟大垣城主氏家ト全か城郭の建築工事をほどこしました。天正十三月豊臣秀吉は一柳直末を大垣城主として天守閣の造営を命じました。この工事は天正十六牟七月になって完成し、その後改修を経て、以来この天守間は四層四階建て総塗りごめ様式でたいへん優美な城として歴史のうえからも貴重なものでした。 昭和十一年国宝に指定され、郷土の博物舘として親しまれてきましたが、昭和二十年の戦災て惜しくも焼失しました。その後お城再建の気運が高まり昭和三十三年五月着工翌
三十四年四月昔そのままの姿て竣工したのがこの天守閣です。 (説明板から)
岐阜県大垣市本町2丁目 【ぎふけん おおがきし ほんまち2ちょうめ】
岐阜県大垣市郭町2丁目 【ぎふけん おおがきし くるわまち 2ちょうめ】