なきじんじょう
版
築
土を敷いて突き固め、その土にまた土を敷き突き固める。それを何回も繰り返して、堅固な基盤を造成する土木技術のことを版築とよびます。版築は、古代中国の殷代(BC
14〜12世紀)の頃に確立され、日本へは紀元4世紀頃に古墳づくりの技術に伴って伝来し、のちに主として宗教建築の神社・仏閣の基礎工事や土塁などに用いられるようになります。沖縄県では1984年、ここ今帰仁城本丸の発掘査で初めて発見されました。今帰仁城の本丸敷地は、もとは古生代石灰岩でできた岩山の頂上部で、東西に傾斜した地形になっており、そのままでは建物が建つような平坦な面ではありませんでした。そこで、まず山頂部をある程度削って平らにし、つぎに東西の斜面部に土留めの石を積み土げ、最後に内側に版築をして、平場を造成しています。本丸の発掘調査で9枚の層が確認され、第8層(13世紀末頃)で丁寧な版築造成が見られます。第8層の厚さは2QCmから120Cmあり、この層は更に1〜5Cmの黄褐色や赤褐色の土層からなり、縞模様なっています。縞模様の層を敷えると、土を約30回も敷きならし突き固めていることがわかりなす。第8層のほか、第3層と第4層では、土と石を交互に敷きつめた平場造成がなされています。(説明板)
大隅の外壁
志慶真門郭(右隅が門)
航空写真(説明板から)
志慶真門郭
大隅の外壁
平朗門(入り口)
平朗門の上から
沖縄県国頭郡今帰仁村字今泊 【おきなわけん くにがみぐん なきじんそん あざいまどまり】
大隅郭