千國写真館
斜 陽 館

しゃようかん

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太宰治記念館「斜陽館」
「書斎」「母の居室」
 この部屋は、太宰の母「夕子(たね)」の居室であったとも言われています。次兄英治さんは、「この部屋は、『書斎』と呼んで、夏休み兄弟集まっていたものです。友達なんか来ても、この部屋へ連れて来て、ねんごろで小説を読んだり、菓子を食ったりしていました。あそんでばかりいたものです。」と、語っています。 旅館時代は、「欄の間」とも呼ばれていました。部屋の右から三番目の「襖(ふすま)」いっぱいに書いている、漢詩に注目してください。「斜陽」という文字が見えます。太宰治が、この「斜陽」という文字を少年の頃から見馴れていることになります。太宰作品『斜陽』と、旅館名「斜陽」にかかわって、太宰ファンからは「斜陽の間」と、親しまれた部屋です。
    (説明板から)
 明治の大地主、津島源右衛門(太宰治の父)の手で建設した入母屋造りの建物で、明治40年6月に落成する。米蔵にいたるまで日本三大美林のヒバを使い、階下11室278坪、2階8室116坪、付属建物や泉水を配した庭園など合わせて宅地約680坪の豪邸である。 太宰は、この家を「苦悩の年鑑」の中で「この父はひどく大きい家を建てたものだ。風情も何もないただ大きいのである」と書いてある。 この豪邸も戦後になって津島家が手放し、昭和25年から旅館「斜陽館」として町の観光名所となり、全国から多くのファンが訪れていた。その後、平成8年3月に旧金木町が買い取り、旅館「斜陽館」は46年の歴史に幕を降ろした。(パンフから)
青森県五所川原市金木町  【あおもりけん ごしょがわらし かなぎちょう】
土 間
和 室
台所と囲炉裏
大広間
庭 園