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千國写真館
遺 跡
掘 立 柱
15mとし、縄文尺(35p)の倍数で、柱間と同じ4.2m間隔の3層の床を設けました。屋根については、その構造や材料についてさらに専門的に検討する必要があることから復元せす、今後の検討に委ねることにしました。屋根があったとすればどんな構造か想像をふくらませてみてください。 復元には、6本の柱にロシア産のクリ、その他の部材も県内産のクリを使用しました。 遺跡の全体像や縄文人の生活様式などのさらなる解明が進み、目的や用途の想定かできれば、その実像に迫ることかできるのではないかと考えています。したがって、今後の学術的な調査、研究によっては、この復元案を見直すことにしています。
  (説明板から)
三内丸山遺跡
遺跡の概要
 野球場建設予定地約50,000uの発掘調査では、約580棟の竪穴住居跡、10数棟の大型竪穴住居跡、100棟を超える掘立柱建物跡、多量の遺物が廃棄された泥炭層、約1,000年にもわたって土器や土などが捨てられ続けて小山のようになった盛土遺構、さらには約880基にもおよぶ子供の墓などが発見されています。 これらの様々な遺構は、幾つかのまとまりをもっていることから、土地の利用について何らかの約束事があったと考えられます。
 また、遺跡からは日本最古級の漆器、カゴなどの編物、敷物のほか、各種の骨角器、獣骨、魚骨、植物種子等も多量に出土しており、今後、縄文文化を解明する上で極めて貴重な遺跡と評価されています。
調査の経緯
 三内丸山遺跡は、江戸時代から知られている遺跡で、これまで慶応義塾大学、青森市教育委員会、青森県教育委員会によって発掘調査が行われています。 平成4年から6年にかけて、県総合運動公園拡張整備事業に伴う野球場建設予定地内の発掘調査を行ってきましたが、縄文時代前期から中期(約5,500年前〜約4,000年前)にかけての多くの貴重な遺構群や多量の遺物が発見され、日本考古学史上例を見ない巨大な縄文時代集落であることが明らかになりました。 このため、青森県では、野球場等の建設を中止するとともに、周辺を含めた約38haを保存し活用していくことを決定しました。  (説明板から)
大型竪穴住居(集会所?)
さんまる
大型竪穴住居
大型竪穴住居(共同作業所?)
掘立柱建物
大型掘立柱建物 (クリの柱、直径約1m)
型竪穴住居
 これは、縄文時代中期後半(約4、900年前)の竪穴住居です。 長さは約32m、幅は約9.8mでその床面積は252.4u、竪穴の面積は229.4uとなっており、竪穴式住居としては日本では最大規模のものです。 建物は、19本の太い柱で支えられています。周囲には溝が掘られ、柱穴が並んでいたことから柱に支えられた壁があった壁立式の建物であったと考えられます。これらの柱の間隔は、全て70pの倍数となっているので、当時、縄文時代の長さの単位(縄文尺)があったと考えることができます。屋根は、支える柱の位置がら想定して、東側を寄棟造りとし、西側を入母屋造りとしました。 屋根裏の一部には床を設けました。これは、大雪の年には西側の入母屋部分がら出入りした可能性が考えられること、また、物の保管などに有効に活用したのではないがと考えたがらです。建物の高さは、地面がら約7.5mで、竪穴の深さは1.2mとなっています。
 出入口の位置ははっきり分がっていませんが、大きい建物であることがら3箇所設けました。建物の中には、石囲炉の跡が認められたので、これを復元しました。 材料は、クリ材を使い、屋根と壁は茅葺きとしました。 この建物の用途は、共同作業所や集会所などという説があります。     (説明板から)
青森県青森市大字三内 【あおもりけん あおもりし おおあざ さんない】
大型掘立柱建物
掘立柱建物
目の丸太を半分に割ったものを乗せ、これらを6本の柱で支える構造になっています。材料は、クリ材を使い、屋根と壁は茅葺きで復元しました。規模は、長さか8.4m、幅が4.2m、高さが約6mです。用途は、倉庫又は住居であったと考えられています。
さんないまるやまいせき
三内丸山遺跡