千國写真館
高田城
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 極楽橋
極楽橋は、徳川家厳の六男松平忠輝が慶長19年(1614年)、普請総裁伊達政宗の指揮によって高田城が築城された際、二の丸から本丸に通じる、内堀を渡る木橋として設けられたものです。
 明治41年(1908年)、陸軍第13師団が入城の際、土塁を切り開き、埋め立てて陸続きにしました。
 文化財発掘調査により、橋の位置を確認し、上越市発足30周年及び高田公園開園50周年を記念して復元しました。

   【橋楽橋復元の概要】   橋長38.4m幅員5.46m   7径間ヒバ造りの木造橋
開花状況は満開です。  高田城三重櫓
高田城
日本三大夜桜のひとつ高田城跡公園
夜ライトアップすると、人の多いこと!!
復元された極楽橋
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さくらロード
西 堀
西堀と西堀橋
ウォーキングコース 起点
花見にしては露店の数の多いこと(日本一では?)
本丸跡
 高田城は慶長19年(1614)、高田の菩提が原の地を主郭に徳川家康の6男松平忠輝が築城した75万石の大規模な近世城郭であった。 本丸は内堀(薬研堀)と塁に囲まれ、現状では堀幅40〜50m、平均水深5m程あり、塁は高さ10m前後で総長約1,000m、石を用いず2ヵ所の内桝 形門と1ヵ所の内カギ形門を挟んだ囲み土塁である。 現在の本丸内郭跡は東西215m、南北228mの広さで、この中に城主の 御殿や多くの建物が存在していた。 天守閣を造らず、塁上には南西隅の三重矢倉を「御三階」と呼んで城の ンボルとし、他に多門櫓2棟、矢倉台1ヵ所、御茶屋台1ヵ所などが設け れていた。
 この高田城も、寛文5年(1665)の高田地震、宝暦地震(1751)、善光寺 地震(1847)及び享和2年(1802)の火災等にあい、その都度規模が縮小されたが、明治3年の火災によって再び焼失し、以後再建されなかった。 高田城は、慶長19年から8家18代の城主が交替し257年間続いたが 明治4年にその幕を閉じた。 明治41年、第13師団入城の際に土塁の切りくずし等で城跡は変形した が、基本的な原形は保存されており、新潟県の史跡に指定されている。      (説明板から)

2005/04

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