千國写真館
銭形のいわれ

寛永十年(1633年)時の将軍家光公から讃岐巡遣使を派遣するとの知らせを受けて丸亀藩主生駒高俊公が領内巡視の際このことを聞いた地元の古老たちがなにか領主歓迎のためにと有明浜に銭形の砂絵を一夜のうちに作りあげたと伝えられています。この山頂から眺めると円く見えますが実際には東西一二二メートル南北九0メートルの楕円形となっています以来砂上の一大芸術と長く保存されています。 この銭形を見た人は健康で長生きできて金に不自由しなくなるといわれています。  観音寺市    (説明板から)

仇内の場所はもっと下です。
琴弾八幡宮
銭形
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ぜにがた(ことひきこうえん)
銭形(琴弾公園)
展望台
砂絵から見る展望台
展望台から見る砂絵
誰かが言ってた、寛永通宝は寛永10年ではなくて、寛永13年に始めて鋳造されたと言う。
砂絵は円形に見えると言うが、私は横に広い楕円に見える。
実物は確かに縦長の楕円である。
銭形(琴弾公園)
香川県観音寺市有明町
弘法大師が掘った、山口の井戸
国立公園 観音寺松原と称す。
近くで砂絵を見る、良く判らん。年に2回ほど草取りや砂を有志が掘っているとの事。
【寛】
【永】
【通】
【寶】
向こうは有明浜。
東西122m、南北90m、周囲345mの楕円形である。(写真上下が東西方向)
展望台に島の名前が書いてある絵
寛永通宝(公衆便所の入口にあった。
琴弾公園案内板
確かに東西が長い。
これは水が出るだけ(噴水と同じ)
鉄の蓋の中に壺が有る。
浴日館休憩所の裏に在る。
水琴窟の原理
名水山口の井戸
大同年間(八〇六〜八一〇)弘法大師が「観音寺」の住職をしておられたころ早魃(ひでり)が続いて住民は飲み水にも難儀しておりました。大帥はごれを哀れみ、この井戸を掘って住民を救ったと伝えられております。
ごの井戸は、海岸に近いとごろにありますが、真水かこんこんと湧き、涸れるごとのない清水ともいわれ、水道が普及する昭和の初めまで多くの茶人や住民に飲料水として飲まれており、また、甘くてうまい水だったので、ごの水を汲んで売る水売りもあったといわれております。
 現在、井戸は東屋の下に保存され見ることはできませんが、井戸の水は前方の水取り場から取水するごとかできます.なお、飲用される時は衛生確保のため一度湧かしてがら飲むようにして下さい.
                 香川県・観音寺市     (説明板から)