錦帯橋・岩国城
周防国
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山口県岩国市岩国1丁目 【やまぐちけん いわくにし いわくに1ちょうめ】

千國写真館

すおうのくに

錦帯橋・岩国城
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小説家、吉川英治が決めた、小次郎誕生の地?

巌流ゆかりの柳
佐々木巌流小次郎は宮本武蔵との勝負に敗れましたが、小次郎の『つぼめ返し』の剣法は天下無双であったということです。
 吉川英治氏は小説『宮本武蔵』のなかで、岩国で産まれた小次郎は、母から家伝の長光の刀(一名物干し竿)を授かりこの辺りの柳とつばめを相手に独りで工夫し、努力を重ね、遂に『つぼめ返し』の術を編み出したと記しています。(説明板から)

抱竹桜
この桜の老木はそっと若い竹を抱き育てている様に見える私達に優しさと思いやりを訴えている様だ   藤川修三 沼 月瀬 (説明板から)

岩国城天守閣由来
 岩国城は、吉川家一七代の広家公が慶長五年岩国に移封されてより建設が計画され、先ず最初に山麓に平生の居館を構え、ついで横山の要害を城と呼びヽ山麓の館を土居と称した。
 岩国城は、慶長八年、二宮佐渡が鍬初めを行ない築城奉行に松岡安右ヱ門、租式九右ヱ門ヽ二宮兵介ヽ吉田宗右ヱ門等を任用し、五年の歳月を要して慶長一三年(西暦一六〇八年)に山頂の要害はことごとく完成し城藩制が定められた。
 ●築城当時の岩国城の規模
 城山の尾根沿いに長さ一八〇米、横に一〇八米〜五四米、石垣の高さ五・四米、天守閣は桃山風の南蛮造りと言われ、四層五階で本丸の北隅にそびえていた。この外に矢倉五棟、折り回し大門二門、埋門一門、井戸二堀があった。 横山側の前方を大手とし、御庄後方を搦手として錦川を隔てて北方に安芸境をにらんでいた。 元和元年(西暦一六一五年)六月、徳川幕府の一国一城の制により取り壊しにあった。その後城跡は石垣の一部を残し荒涼たること約三六〇年にして昭和三十六年三月復元工事に着手し、昭和三十七年三月に竣工したものである。(説明板から)

大釣井(おおつるい)
 この大井戸は、慶長十三年(一六〇九年)築城と同時につくられたもので、非常時の武器弾薬等の収納をはかるとともに、敵に包囲されたり、落城の危機にさあされた場合の脱出口を備えた井戸であったとも伝えられている。(説明板から)