千國写真館
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岸和田城
千亀利城   猪伏山勝城
岸和田城
千亀利城
猪伏山勝城
本丸
武者走り

岸和田城の変遷
建武元年(1334年)楠正成の一族和田氏が、当時「岸」と呼ばれていたこの地に城を築き、
根拠地としたことから
「岸の和田氏」と呼ばれ、「岸和田」の地名の起こりになったといわれています。
その後、信濃氏、細川氏、三好氏、松浦氏、中村氏、小出氏、松平氏とかわり、寛永17年(1640年)岡部宣勝が入城、
以来13代続き明治を迎えました。岸和田城の別称は「猪伏山勝城(いふせやまちきりじょう)」。
「勝(ちきり)」とは、機のたて糸をまく器具で、本丸と二の丸を連ねた形が「勝」ににているところから
由来するといわれています。
また、城は「千亀利城」「蟄亀利城」とも書かれます。
文政10年(1827年)、雷火により五層の天守閣が焼失し、昭和29年(1954年)、その後に三層の天守閣が復興されました。
城跡は、昭和18年(1943年)に、大阪府の史跡として指定されました。
  〔説明板から〕